なぜアントニオ猪木の言葉は、人に「元気」を与えるのでしょうか?
当サイトのコンセプトは「元氣を与えるコンテンツ」を提供すること。
そうであれば、元気と言えばこの人をイメージする「アントニオ猪木」の研究は避けては通れません!
今回は、彼の言葉である「数々の名言」を研究対象として、記事をまとめてみました。
アントニオ猪木の名言にはなぜ「元気」を与える力があるのか?
この問いに答えるためには、大きく二つの軸が必要だと考えます。
すなわち、「(その言葉を言った)人物軸」と「言葉(そのもの)軸」です。
まず「人物軸」についてです。
いかに元気を与えてくれそうな言葉でも、「性格が暗くて、ネガティブな人」が言っていたら力は宿りません。
アントニオ猪木という「自らも元気な人」「人に元気を与えたいと思っている人」の言葉であるからこそ、その言葉に力が与えられるのです。
次に、「言葉軸」についてです。
もしこれらの言葉が「誰が言った言葉か不明」だったとしたらどうでしょうか?
例えば、このような言葉があります。
「コンプレックスをバネに飛躍することができるのではないか。」
誰でも言いそうな言葉ですよね?
実はこの言葉もアントニオ猪木の言葉なのです。
ということが分かると、不思議とこの言葉に力が宿りませんか?
この言葉と紐づけて、アントニオ猪木が言っているイメージが想起されたはずです。
そう。言葉の力は、その言葉を口にした人の持つイメージでも強化されるのです。
もちろん、言った人物に関係なく強い力を持つ言葉も存在します。
「どうせやるなら、(仕事・勉強)愉しくやろう!」
いかがですか?この言葉は誰が言ったか明確ではありませんが、言葉そのものに力を感じませんか?
「どうせ」というたった3文字の言葉が効いて「愉しくやろう」という一般的な言葉に不思議な力を与えています。
つまり、言葉の力は「その言葉自体が持つ力」と「その言葉を言った人物によって与えられた力」の2つに分けられるのです。
次にネット上で紹介されているアントニオ猪木の名言全て集めて、カテゴライズしてみました。
すると、アントニオ猪木の名言は以下の3つの視点でカテゴライズ出来ることが分かりました。
「最初の一歩が踏み出せない時」「人生の指針が欲しい時」「落ち込んだ時」です。
彼の言葉には、こういった状況の「時」に触れることによって、元気を与えてくれるようです。(時間軸による分類)
もしかしたら、彼自身がこういった状況にある人に元気を与えたいそう思って口にしているのかもしれませんね。
下記では、「最初の一歩が踏み出せない時」「人生の指針が欲しい時」「落ち込んだ時」という3つの分類に「その言葉を言った人物によって与えられた力」と「その言葉自体が持つ力」の2つの視点を加えて分類してみました。
「最初の一歩が踏み出せない時」に元氣を与えてくれるアントニオ猪木の名言
「その言葉自体が持つ力」に該当する名言
「その言葉を言った人物によって与えられた力」に該当する名言
「人生の指針が欲しい時」に元氣を与えてくれるアントニオ猪木の名言
「その言葉自体が持つ力」に該当する名言
「その言葉を言った人物によって与えられた力」に該当する名言
「落ち込んだ時」に元氣を与えてくれるアントニオ猪木の名言
「その言葉自体が持つ力」に該当する名言
「その言葉を言った人物によって与えられた力」に該当する名言
まとめ
今回は、アントニオ猪木の名言をその言葉が力を発揮する3つの場面にカテゴライズして紹介しましたがいかがでしたでしょうか。
言葉が力を発揮するのは、自分の潜在意識下にあるモヤモヤを言葉が明確に表現し、境界線として機能した時です。
「そう!そうなんだよ!」「そう!そうありたいんだよ、自分は!」「そう!そうあるべきなんだよ!」こういったスッキリ感があることで、自分の中のモヤモヤがスッキリして、「言葉への共感」が起きて、元気が湧いてくるのではないでしょうか。
ただ、あくまでもこれは僕の「仮説」にしか過ぎません。言葉の持つ力は何なのか?ただ、言えるのは「その人の置かれている状況」「その人が潜在的にモヤモヤしている時」に適切な言葉で「境界線」がひかれることで、スッキリとして指針を与えてもらいエネルギーが湧いてくる、そんな気がしています。
その証拠に、いかなる名言でも心に響く人と響かない人がいます。その事実こそが、その人にマッチした言葉がその人にとっての名言として機能し言葉の力を与えてくれることを表しているのではないでしょうか。
このテーマについては、ライフワークとして研究しているので、また新たな発見があれば記事にしたいと思います。