このブログには、「ニートから脱出したい」という社会復帰の意志があるニートのあなたにとって必ず「ニート脱出のシナリ構築」のヒントが眠っています。
なぜなら、このブログは元ニートでありながら、紆余曲折を経て現在 大企業の人材開発コンサルタントをしている管理人が運営しており、社会復帰後のあなたの成長を加速する「コンテンツ」をご提供しているからです。
(ちなみに、ニート仲間を探そうとして現ニートのブログを探していたあなたも、ぜひ目を通してください。今はよくても、ニートという生活は一生続くことはありません。必ず社会に復帰しないといけません。このブログにはそのヒントが散りばめられているはずです。)
ですから、このブログで提供しているコンテンツを起点にして、まずは「ニートからの脱出」を行い、ぜひ社会復帰してください。社会復帰後はおそらく企業で働く「企業人」になると思いますが、その企業人としてのあなたの最速の成長を加速するコンテンツを毎日少しでも熟読しながら、このサイトを活用すると結果を出せるビジネスパーソンになれるはずです。
とはいえ、まずは「ニートからの脱出」を目的に、その目的を実現するための「脱出シナリオ」を描かないといけません。そのヒントはこのページでご紹介する「僕の脱出シナリオ」に必ずヒントがあるはずです。
物語形式で可能な限り詳細に文章にしてみたので、小説を読む感覚でじっくりと読んでみてください。
23歳
3月に有名私大を卒業した僕は、大学時代に描いた「弁護士になって、困っている人を救う」という夢を実現すべく、就職せずに司法試験(弁護士資格を取得するための試験)に合格するための専業受験生「司法浪人」となった。
迷いはなかった。その時の僕には「司法浪人して数年受検すれば、合格するだろう」という根拠のない自信があったからだ。
5月の第二日曜日(司法試験の短答式試験は毎年この時期に実施された)、司法試験を受験した。模試では、合格点は確実に獲れなかったが「本番に強い」という根拠なき自信で受検した。結果は、「不合格」。橋にも棒にもかからなかった。
二次試験の論文試験は模試でも合格点を獲ったことがあり、自信があったが僕は一次試験の短答式試験(通称「択一試験」)がとんでもなく苦手だったのだ。
司法浪人1年目は早々に不合格になり、1年後の司法試験に向けてまた1年間勉強漬けの日々を送ることになった。
しかし、お世辞にも裕福でなかった僕の家は予備校に通うお金もなく、自宅で浪人することになった(いわゆる宅浪)。
ほとんど家の外に出ない司法浪人の宅浪は、今思い出すだけでも、本当にしんどかった。
とにかく1年間勉強し続けるだけのモチベーションが続かない。そして、社会人でも、学生でもない、生まれて初めて「身分なし」の自分への自信がどんどん失われていった。
その結果、どうなったか?司法浪人をしている大学時代の友人以外とは、疎遠になっていった。社会人としてバリバリと活躍している、人間とはどうせ会っても話が合わない。そして、何者でもない自分への劣等感で、余計 外に出るのが怖くなった。
今思えば、司法浪人1年目でニートの原形が出来ていたのかもしれない。司法試験不合格後の3か月は、余りにも先の来年の試験のためのモチベーションも上がらずに、バイトをしたり、ゲームをしたり、漫画を読んだり…親のすねをかじって堕落した生活を送っていた。
その堕落した生活と一緒に司法試験合格というモチベーションも下がっていった。
24歳
司法浪人となって、2年目の司法試験の受検。堕落した生活と共に下がったモチベーションでは到底クリアできるような試験ではなかった。結果は、短答式試験で惨敗。この頃から、社会からの断絶感、孤独感で「逃避行動」をとるようになっていた。
24歳にもなって、仕事をしていない。スーツを着て外に出ない自分がどんどん恥ずかしくなっていった。その結果、僕と同じく司法浪人していた大学時代の友人にも会う気が失せていき、「バイトが忙しいから」と言い訳して、集まりに行くこともなくなっていった。
家族以外とは、ほとんど会話をしない日々が続いた。そして、その低下しづつけるモチベーションの中で、勉強する気は全然わかずに、試験半年前の11月頃までは朝勉強するぐらいで、午後からはゲームをしたり、漫画を読んだり、小説を読んだりして時間を過ごしていった。
25歳
司法浪人3年目。両親との約束で、大学卒業後3年で合格できなかったら、司法試験の受験は辞めることになっていた。人生最後の司法試験、今までで一番勉強した。「もしかしたら、奇跡が起きて、合格できるかもしれない。」そう思って受検した5月の第二日曜日「母の日」。司法制度改革の真っただ中の時期で僕が受けていた旧司法試験の合格者数は激減して過去最低の合格率を出した年だった。
結果は、不合格。「人生最後の司法試験」と思って、今までで一番勉強したがダメだった。そして、今回合格できなければ、司法試験の受験を辞める、そう決めていた。
プツッ・・・・・・・・・・・・・
僕の中で、何かが途切れてしまった感覚があった。今までに経験したことのない「喪失感」「虚無感」が僕を襲った。これが人生で最大の「挫折」だった。正直、大学までは順風満帆だった。一時的に落ち込んだことはあったが、勉強も運動も人並みに出来たし、どちらかと言うと「中の上」の人生だった。
しかし、ここに至って、人生を懸けていた弁護士になるという夢、司法試験合格という目標を失った。「僕にはもう何もない」「やりたいこともないし、出来ることもない」「格好をつけて、数年後俺は弁護士になってるから。また一緒に飲もう。と言った友達にも会えない」人生が終わったような感覚に陥って、どこに向かったらいいのか分からない。
羅針盤を失った船のようなフワフワ、フラフラした気持ちになった。そして、進む方向を失った船となった僕は「家事もしない。就学もしていない。就業もしていない。そして、職業訓練も受けていない若年無職者」すなわち「ニート」になった。
この後、半年程、完全なニート生活(ひきこもり生活)を実家ですることになった。
どのような生活だったかと言うと、朝起きて下の階におりて朝ごはんを食べて、二階の自分の部屋に戻りプレイステーションの電源を入れる。そして、「戦国無双」というゲームを立ち上げて、昼御飯までひたすらゲーム三昧。昼御飯を食べた後、再度2階の自分の部屋に戻り、ゲーム三昧。時折、漫画を読む。いわゆる「ゲーマーニート」「漫画ニート」の完成だ。
この頃の記憶ははっきり言ってほとんど何もない。虚無感を紛らわせるために、ひたすらゲームと漫画に没頭して気を紛らわせていた。戦国無双の全面をクリアすること、全種類の武器をコンプリートすることなどしょうもないゲームの中での目標を自ら立てては次々と達成していった。
その目標を達成しても誰も褒めてくれないし、お金も稼げないにも関わらず。ひたすら、時間がはやく過ぎることを願うようにゲームと漫画に没頭し、堕落しきった生活を送っていた。
26歳
100%ニートの生活が半年ぐらい続いたある日の晩、僕のニート生活脱出の一つのきっかけとなる出来事が起きた。
夜、下の階に飲みものを取りに行った時、ダイニングから両親のこんな話が聞えてきた。「●●は有名私大の法学部を出してやったのに、毎日ゲームをしたり、漫画を読んだり、一体何をしているのか。あいつはこれからどうするつもりなんだろう・・」
この言葉を聞いて、僕は久しぶりに現実世界に戻った。「26歳にもなって、両親にこんな心配をかけている。自分はなんて情けない人間なんだろうか」と。
とにかくこの堕落しきった生活を改めて、社会復帰しないといけない。思考が久しぶりに回りだした。しかし、何を起点にしてニートを脱出すればいいのか?さっぱり解らなかった。
そこで、まずは健康を取り戻すべく、夜間のランニングを始めた。昼間のランニングは26歳にもなって定職にもつかずにフラフラしている自分を近所の人に見られることを避けたかったのでしなかった。ひきこもりから、少しはマシになったと思った。
次に、社会復帰のための武器が必要だ。何をしよう?何を始めたらいい?思考が回り出した。大学卒業前に取得した行政書士資格(法律系国家資格。ただし、難易度は弁護士資格より遥かに簡単。)を活かすことも考えたが、弁護士になっている友人と比較されることをおそれ、法律で武器をつくることは諦めた。
大学時代と大学卒業後の時間をささげて着けて来た法律の知識が武器にならない。この判断が逆に違った道を照らしてくれた。
ちょうどその時、ライブドアの堀江貴文さん達がITバブルで一獲千金を当てて、輝いていた頃だった。
「ITビジネス」でお金を稼ぐ事が出来たら、凄いな。インターネットビジネスのスキルがもし自分に手に入ったら、それは大学卒業後に大企業に就職した友人たちにない武器になる。しかも、企業に属していなくてもお金を稼げるので、人生の選択肢も広がる。何より「IT起業」という言葉にワクワクした。
夢を見つけるまではいかなかったが、「ITビジネスでお金を稼ぐ」という目標が出来てからは行動が早かった。
手始めに、小さな町工場を経営している父がその工場のホームページを作る為に購入した「ホームページビルダー」というホームページ作成ソフトを使って、父が作りたがっている工場のホームページを作成してプレゼントした。
ホームページの専用言語HTMLなどさっぱりと分からないIT素人の自分には正直つらかったが、書籍を購入して独学でHTMLを勉強して、ホームページを2週間程度で完成させ、インターネット上にアップした。
しかし、インターネット上にアップしても、一向に訪問者(アクセス)が来ない。来るのは、自分自身の閲覧アクセスのみ。これでは、お金を稼ぐことは出来ない。
どうすれば、ホームページでお金を稼ぐことが出来るのか、インターネット上で様々な情報を探した。すると、SEO(検索エンジン最適化)が最も重要であることが分かった。
ホームページ制作の次は、SEOの書籍も購入して読み込んだ。そして、SEOを父の工場のホームページに施して、1か月後自分以外のアクセスが集まりだした。そして、問い合わせも1週間に1度程度の頻度で来るようになった。ホームページを制作して、そのツールでお客様を集めることが出来た。一つのITに関する成功体験が出来た。
ホームページ制作スキル、SEOスキルの基礎が身についた後は、どんなビジネスをするかを考えた。その頃、インターネットビジネスと言えば、ヤフオク、せどり(中古本販売)、ドロップシッピング、アフィリエイトなど様々なビジネスモデルが世に出ており、一体何をやればいいのかわからなかった。
一通りのビジネスがどのようなものか理解した後、僕は「アフィリエイト」を選んだ。自分のホームページに広告を貼り、その広告経由で成果が発生すれば、成功報酬がもらえるビジネスモデルだ。
「アフィリエイト」を選んだ理由は二つ。一つ目は自分の顔や本名を出す必要がないこと。二つ目は、不労所得モデルを構築しやすいこと。だった。
ITビジネスでお金を稼ぐという目標に向けて、A8ネットなどのアフィリエイトサービスプロバイダーに登録して、早速刻々をホームページに貼り付けた。しかし、いっこうに成果報酬が発生しない。
ネット上のトップアフィリエイターは月100万円稼いでいる人も沢山いるのに、自分は1円も稼げない。アフィエイターとしても暗中模索する日々が続いた。
結局、僕はアフィリエイターとして一皮むけるために、迷いに迷った結果 有料情報(ノウハウ)を購入することにした。
ネットで検索していて偶然見つけた行政書士試験勉強法サイトのリンク先にその有料情報の販売サイトがあり、購入前に色々と相談して、信頼できると確信して、その有料情報を購入した。24,800円。無職の僕には正直きつかったが、「誰でも簡単に月5万円アフィリエイトで稼ぐ方法」という商材タイトルを信じて、投資した。
この教材が王道のノウハウで、情報販売者の安田さんが現役アフィリエイターだったこともあり、結果を出すために具体的なサポートを受けることが出来、この情報を購入して3か月後には月5万円をアフィリエイトで稼ぐことが出来るようになった。
その後、順調にサイトの数を増やしていき、その2か月後には月20~30万円の不労所得をアフィリエイトで稼げるようになった。それと同時に「就業している身分」となりニートを卒業することが出来た。
まとめ
元ニートによる「ニートからの脱出」物語はいかがでしたでしょうか。ニートからの脱出方法については別記事で詳細をまとめているので、そちらを参考にしてもらいたいのですが、ポイントは2つかと思います。
一つは、ニート脱出のための起点を定めること。もう一つは、その起点を元に、昨日の自分とは1ミリでも違う新しい行動を取ること。
上記で紹介した「ニート脱出」物語はあくまで僕の例です。1例に過ぎません。ただ、せっかく読んでいただいた以上は「脱出のシナリオ」のヒントや、「脱出のカギ」のヒントを持ち帰ってもらえると嬉しいです。