ここでは、「或るニートの末路」をご紹介します。
ニートの一般的な定義は、15~34歳までの年齢で、家事・就学・就業をせず、職業訓練を受けていない者。
ちなみに、ひきこもり状態である場合がほとんどです。
ニートに陥った理由と現在の状況は人それぞれだと思いますが、ニートで寿命を全うすることは本当に難しい。
ここでは、「ニートから脱出するキッカケ」を持ってもらうために、「ニートに脱出することに失敗した或るニートの末路」を物語形式でご紹介します。
或るニートの末路~ニートから脱出できなかった最悪のシナリオ~
僕がニートに陥ったのは、25歳の頃。
僕には高校時代から「弁護士になる」という夢があり、勉強を頑張り独学で有名私大の法学部に進学。
大学時代は、司法試験受験生として法学部内では好成績のヒーローのような状態だった。なぜなら、法学部で実際に弁護士などの法曹を目指す人は少なく、ガチで法律を勉強している司法試験受験生にとって学部の法律系科目は「優」間違いなしだからだ。
しかし、在学中に司法試験に合格することはなく、司法浪人することが決定。同級生のほとんどが大手企業や中堅企業に就職し社会人となるなか、1人取り残されたような感覚で司法浪人生活を送ることになった。
一般的なレールから初めて外れた僕には劣等感が生まれた。特に恨みもないのに「絶対に弁護士になって、同級生を見返してやる!」そんなことを考えて司法試験に臨んでいた。
しかし、自宅での司法浪人、いわゆる宅浪はとても精神的にキツくて、勉強のリズムをつくることがなかなかできなかった。
結果は、3年連続不合格。両親との約束通り、卒業後3年で合格できなかった僕は司法試験の受験を諦めることになった。
地獄はそこから始まった。
高校時代からの夢であった「弱い人を守る市民派弁護士になること」、そして目標であった「司法試験に合格すること」。この二つを同時に失った僕は、「人生の袋小路」に陥ってしまったのだ。
「新卒や第二新卒のポテンシャル採用は望めない」「履歴書に空白期間が出来たら、大企業は無理だ」「卒業して大企業に就職した同級生にはもう追いつけないんだろうな」そんなネガティブな思考が僕を支配した。
結果、どうなったか?僕は「逃げる」ことを選択してしまった。つまり、何もしない、何も新しい行動を起こさない、ひきこもりのニートになった。
それからは、毎日毎日ゲームと漫画三昧の日々。朝起きて、朝食を食べたらプレイステーションの電源を入れて、「戦国無双」や「侍道」などのゲームをする。そして、昼になったら昼食を食べて、再びゲーム。眠たい時は昼寝。
完全に堕落した生活に染まっていった。体重は増加しつづけて、外出しないため顔色は真っ白。外見を気にしないため、髪の毛も伸び放題。典型的なニート。
その間の生活費は、当然 両親のすねかじり。地方の実家が持家だったこともあり、父は自営業をしていて収入があったし、母もパートをしていたので無収入の人間が一人いても、生活できた。
ちなみに、僕には2歳下の妹と10歳下の弟がいる。
2歳下の妹は、とても普通の人生を送っており、短大卒業後就職し、公務員のパートナーを見つけて、結婚。ニートの兄がいるため、とてもバツが悪そうだったのを今でも覚えている。
そして、10歳下の弟は中学生。毎日、制服を着て学校に通っていた頃。自分の兄がずっと家にいて、ゲームや漫画を読んでいる。この状況を「何してるんだろう?」と言った目で見ている。
しかし、「逃げ癖」が完全についてしまっていた僕はニートから脱出する気持ちにはなかなかならなかった。そうこうしているうちに、妹には第一子が出来て、僕はおじさんになった。
弟は僕と同じ有名私大に合格し、花の大学生活を謳歌しだした。
僕は、27歳になっていた。「完全に普通に就職することは無理だろうな」「だけど、27歳にもなってバイトするのも恥ずかしいな」無職で無収入のくせに、バイトすらせずにお小遣いをもらっていた。
元々、大学を卒業するまではいわゆる「優等生」だった僕には変なエリート志向があり、プライドだけは一人前だった。そのプライドが起因して、その頃はうつ病に近い状態だった。
毎日、「いつ人生を終わらせようか・・」などと人生を終わらせる方法を考えていた。しかし、最終的には人生を終わらせるという勇気もなく、「ひたすら逃げること」を選択しニートを続けることになった。
そんな生活が数年続いた。僕は30歳を越えた年齢になっていた。
妹は、3人の子どもに恵まれて、一軒家を持ち、本当に順風満帆な人生を着実に歩んでいる。弟も有名私大を卒業し、大企業に就職が決まり、順調にキャリアを積んでいる。
ただその頃の僕には年下の家族の幸せすらもうどうでも良かった。何も感じなくなっていた。「もう自分はどうでもいい」「このまま何もせずにダラダラと時間がただ過ぎるのを待とう」。
37歳になった。両親は60歳を超えて、年金生活に突入。僕は「年金パラサイト」になった。
肉体に負担がかかる自営業の父は年金生活者になった。母はほそぼそとパートをしているが四十路前の息子の生活費をまかなえるほどの収入がなくなってしまった。
妹と弟は社会人として立派に1人立ちしている。弟は来年、持ち家を買うらしい。
一方で長男の僕は「中年ニート」。体重も堕落した生活の結果、みるみる増加して、「デブ」と呼ばれる姿になっていた。大学時代は結構モテていた自分が今や無精ひげを生やして、伸び放題のボサボサの髪になっている。ITバブルと呼ばれる時代にインターネットビジネスを始めることもなく、何のスキルも持ち合わせていない。
強み?何もない。あえて言うなら「仙人のような隠遁生活ができること」ぐらいだ。もはや社会復帰は困難。何よりも僕のような「中年ニート」を採用してくれる企業なんてない。何より社会から断絶しすぎて、働くという意欲が湧かない。
そして、さらに5年が過ぎた頃、両親が立て続けに無くなった。ついにニート生活の終焉が訪れた。両親の財産は築45年の持家と土地だけ。それを三人の兄弟で分ける。
妹と弟も家族がいるので、持ち家と土地の権利分を主張して来たが、中年ニートの僕に関わりたくないからか権利分を放棄して、ボロボロの地方にある持家は僕に全部の権利を渡して、土地の権利だけ妹と弟がもらうことになった。
いよいよ両親のすねかじりが出来なくなり、僕は生活困窮者になった。大学時代に法律を勉強していたため、迷うことなく「生活保護」を申請した。超高齢社会に突入した日本において、生活保護制度はすでに形骸化しており、本当に「食えるだけ」のお金しかもらえない。
インターネットも使えない状況になり、社会と完全に断絶された。妹も弟も僕には関わりたくないらしく、家に訪ねてくることもなくなった。
食事は何とか、近くのスーパーまで買い出しにいくが、自炊する力もないためカップラーメンばかり食べている。
最近、体の至るところが不調になってきているのが判る。真の孤独と死が見えてきた。
10年後ぐらいに地方の一軒家から「孤独死のひきこもり中年、発見」といった記事が載るんだろうな。孤独死あるのみか…
「ニートの末路」について真剣に考える
「或るニートの末路~ニートから脱出できなかった最悪のシナリオ~」いかがでしたでしょうか。
この記事を読む前に、このサイトの他のページを読んでいた方は気づかれた方もいるかもしれません。
途中までは僕の人生であり、ノンフィクションです。
違うのは、「ニートからの脱出に失敗した25~6歳以降の物語」です。ここからは僕のフィクションです。
僕は、インターネットビジネスで生計を立てるとスキルを手に入れて、その武器をキッカケにニートから脱出しました。
しかし、あの時「インターネットビジネスをやる」という選択を勇気を持ってしていなかったら、きっと下記のような人生になっていたのではないかと思います。
両親の収入に依存した若年ニートから中高年ニート
両親の年金収入に依存した「年金パラサイト」の高齢ニート
生活保護を受給する「生活保護依存」の高齢ニート
働き口も完全になくなり、社会から断絶されて精神的に追い詰められる
最後は、孤独死を待つのみ
これが容易に想定できる典型的な「ニートの末路」です。しかし、これは他人に迷惑をかけなかったケース。中には、世の中を恨み犯罪に手を染める人もいるかもしれません。
まとめ
厚生労働省によれば、一般的なニートの定義は「15~34歳までの年齢で、家事・就学・就業をせず、職業訓練を受けていない者」ですが、これが約60万人いると言われています。
しかし、35~59歳の「中年・高齢ニート」は約2倍の120万人以上いることがわかっています。その中には、ニートに位置づけられているだけで収入に困っていない人もいるかもしれませんが、多くは両親におんぶにだっこの「パラサイト」ではないでしょうか。
ニートから脱出した今だからこそ言えますが、「もし自分がそうなっていたら?」と思うと本当にゾッとします。
もし、このサイトを読んでいるあなたが現ニートであれば、ぜひ「ニートからの脱出」を考えてください。
僕もあなたと同じニートでした。しかし、「ちょっとした第一歩」がきっかけとなって、人生を変えることが出来ました。
今からでも全然遅くありません。
ニート時代に過ごした時間は決して無駄ではありません。ニート時代は、あなたの力を溜めているだけなのです。きっかけさえあれば、その溜めに溜めた力が爆発して、いっきに上昇気流に乗ることが出来ます。
ニート時代は、雌伏の時。雌伏して力を溜めているだけ。ジェット機の離陸の時の助走と一緒で、一気に上昇することが出来ます。
ぜひ人生を諦めずに、ニート時代に溜めた力を爆発させてください!応援しています!!